淡路島5人殺害 被告が無罪主張「脳をジャックされた」~責任無能力とその判断基準について〜

兵庫県・淡路島の洲本市で2015年3月、50〜80代の住民5人を刺殺したとして殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(42)の裁判員裁判の初公判が8日、神戸地裁(長井秀典裁判長)でありました。

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淡路島5人殺害 被告人が無罪主張「脳をジャックされた」

兵庫県・淡路島の洲本市で2015年3月、50〜80代の住民5人を刺殺したとして殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(42)の裁判員裁判の初公判が8日、神戸地裁(長井秀典裁判長)でありました。

起訴内容について平野被告は無罪を主張し「工作員に仕組まれたことだ」などと述べ、さらに「脳を電磁波でジャックされた」などと訴えました。

弁護側は「被告の主張がありえないものだとするならば、病的妄想に基づくもので刑事責任能力がない、もしくは減じられる。心神喪失あるいは心神耗弱を主張します」と説明し、これに対し検察側は冒頭陳述で「完全責任能力があったと判断した」と述べました。

責任無能力とその判断基準~心神喪失と心神耗弱〜

「責任無能力で無罪」そんなニュースを一度は見たことがあるかもしれません。今回の事件でも被告人は責任能力を争っていますが、これにはどういった意味があるのでしょうか?詳しく見ていきましょう。

刑法は「責任なければ刑罰なし」という近代刑法の原則の下で、責任無能力者には刑罰を科さない旨の規定を置いています。「心神喪失者の行為は罰しない。」(39条1項)という規定がそれです。同じように、一部しか責任能力が認められない人には刑を軽くする旨の規定もあります。「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」(39条2項)という規定がそれです。

心神喪失や心神耗弱…みなさんも一度は聞いたことがあると思いますが、その意義についてはあまり知られていません。

判例の定義によれば、心神喪失とは、精神の障害により行為の是非を弁識する能力(是非弁識能力)がないか、またはその弁識に従って行動する能力(行動制御能力)のない状態であり、心神耗弱とは、精神の障害により、是非弁識能力または行動制御能力が著しく減退した状態をいいます(大判昭和6・12・3刑集10巻682頁)。

難しいことを言いましたが、簡単に言えば精神上の障害が原因で、ものごとの良し悪しを判断する能力や、その判断に従って行動する能力がない場合を心神喪失と言い、精神上の障害が原因でそのような能力がほとんどない場合を心神耗弱といいます。

このような定義は、精神障害という生物学的な要素と、是非弁識能力・行動制御能力という心理学的要素を混合させる「混合的方法」によるものとされています。世界の立法例には生物学的要素のみで責任能力を判断(ダラム・ルールなど)するものや心理学的要素のみで責任能力を判断する方法(マックノートン・ルールなど)もありますが、日本はそれを採用せず、両方の視点で判断を行うものとしているのです。

では、心神喪失や心神耗弱はどのような方法をもって判断されるのでしょうか?

これは、法的な判断によるものとされています。すなわち、心神喪失であるという精神科医の鑑定があったとしても、ほかの証拠によって要素を判断してもいいし、裁判所が独自の立場から心神喪失を否定してもいいことになります。

したがって、精神科医等の判断には裁判所は拘束されないのです。医者が心神喪失という鑑定をしたからといって必ず心神喪失として無罪!というわけではありません。

最後に、具体的にどのような「精神上の障害」が心神喪失や心神耗弱につながりうるのかを見ていきましょう。可能性があるものとしては、統合失調症や覚せい剤中毒などがありえます。また、飲酒による酩酊も、可能性としてはあり得ます。

しかし、心神喪失や心神耗弱は、よほどのことがないと認められません。特に心神喪失が認められた例はかなり限られています。

飲酒による酩酊も、「精神上の障害」にあたりうると書きましたが、それは複雑酩酊や病的酩酊といった、かなり限られた状態のみの話です。したがって、単純に飲みすぎて泥酔して人を殴った…なんてレベルでは、いくら記憶がないと言っても、ちゃんと犯罪が成立します。

いかがでしたか?今後の裁判の動向に注目が集まります。

この記事の作成者

カケコム編集部